協同組合の原型ともいえる先祖株組合。
さて、先祖株組合ですが、生まれた時代は江戸時代の天保期。
先祖株組合の生みの親である大原幽学は1835年に千葉県旭市に農民指導者として定住。
1835年といえば有名な天保の大飢饉(1833年から1839年諸説有)の最中です。
その中でも天保7年(1836年)は特に厳しい年のようでした。
仙台・伊達藩一門の家臣だった花井安列さんの日記では1833年から1847年までの14年にわたり毎日の天候記事が書かれてあり、そこから察すると天保7年は夏の気温偏差が-2.8℃と推定されていて厳しい冷害に見舞われたようです。
農民指導として35年に定住した翌年にこのような冷害に見舞われるとは・・・
環境が悪いと土づくり、施肥技術など栽培技術がなければかなり収量は落ちますし、その前の年天保5年は豊作年だったとも言われています。
そのような厳しい環境の中、大原幽学さんは天保9年(1838年)に先祖株組合を作っています。
このような活動をされているということは指導者として地域に受け入れられていたのでしょう、おそらく植物生理の知識などももっておられたのかなと思われます。
さて、この先祖株組合とは、村民が所有地(一人一石分の土地、およそ一石150kgとするとおよそ1反の土地と思われます)を提供し、その所有地からあがる収益を困窮者を助けたり、土地改良や農地開拓を行う種銭にするといういわば互助組織になります。
時代背景的にも飢饉などで農民が苦しい生活をしていたので皆で共有財産を作り積み立てて、不測の事態に備えていたのでしょう。