縄文時代のクズに引き続き、弥生時代のクズです。
縄文時代は根栽農耕文化が行われておりましたが、弥生時代に入ると水田稲作が伝わり、無種子農業から種子農業に大きく変化します。
不安定で労働集約的な収穫・加工作業を必要としたデンプン原料に比べ、毎年安定してほとんど無加工で得られるデンプン原料の栽培は、日本列島の土地利用に革命的な影響を与えることになります。
この種子農業は肥沃な表土や広大な平地に恵まれていない日本は極めてユニークな栽培技術を発展させることになります。
それは草肥農業と焼畑農業、牛馬を利用した草地農業システムです。
このシステムは「火入れ」と「鎌」によって大量の「草」を継続的に供給することが目的です。
水田という限定した土地を利用した稲作には土づくりのための緑肥、コメ作りのための苗肥、灰肥、堆肥、厩肥が必要です。
これらを草肥と云いますが、この時代の里山では草山・芝山・柴山・茅山といった肥料生産のための草地が大規模に維持管理されていたのです。
化成肥料など効果的な肥料がない時代、コメを収穫するには水田面積の約10倍もの面積から刈り取った草を毎年施す必要があったと言われます。
その草を確保するために集落近郊をはじめとするあらゆる草を草肥資源として計画的に利用されていたのです。
さらに草地には多年生イネ科草本類だけでなく、クズを共存させるわが国独特の手法がとられていました。
この手法の特徴はササやススキの植生がクズの発根・着地を妨げ、クズの成長を適度に抑制します。
クズの必要以上の繁茂を抑える上、イネ科植物の上を平面的伸びるため編み布に向いた上質な繊維原料となります。
この繊維用のクズでは塊根が発達しにくいため、葛粉を得るための塊根目的の栽培は、気候が温暖で砂質土壌の西南暖地での焼き畑農業地を中心に行われていたと考えられています。
弥生時代から近世にかけての列島の土地利用は飼料や肥料生産のための草地が主役となり、まさに草と共にある草地農業システムであったとされます。
万葉集に秋に咲く代表的な草花としてクズ・ススキ・ハギ・ナデシコ・オミナエフシ・フジバカマ・キキョウとありますが、葛も多くの歌で詠まれていることから、生活圏に広がる景観は葛がはう草原と草山だったと思われます。
参考文献 葛とクズ 古来の有用植物が今強害雑草に
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