私の祖父母は佐賀でみかんとビワを生産する農家でした。
収穫や袋かけなど人手のいる作業がある時期には親戚友人が祖父母の家に集まり作業を手伝っていました。
子供の頃はそういった身近にある農家の仕事について特別な思いを抱くことはありませんでしたが、夏休みや冬休みといった長期休暇のたびに祖父母の家に泊まりに行きその地域の子供たちと交流したり、作業の時に集まる親戚や親の友人、その子供たちと遊ぶ時間から得られたものは多かったように思います。
いわば農家を中心とした田舎のコミュニティです。
しかし、農家の仕事に興味をもつよりも先に祖父母より農家は儲からんから勉強して会社に務めろと言われ、中学や高校の時には農家になるという選択肢はなくなっていました。
大学進学時には身内の消費用程度にしか畑がなくなっていた祖父母の家ですが、それでも何かしら役に立つかもしれないと大学は農学部に進学。
(中央に少し残っていますが山の斜面一面きれいに整備されたみかん・ビワの畑でした)
大学では自動車部に入部しジムカーナというモータースポーツにのめりこんだことから、専門は農業機械を選択し、福岡にある農業機械メーカー株式会社オーレックに就職。
オーレックでは仕事を通じて様々な生産者の方とお会いする機会に恵まれました。
そこには農家は儲からない、という人ももちろんいましたが、誇りをもち未来を見据えて仕事をされている篤農家の方を見ていると、こういう方が自分の祖父母の集落にもいれば産地として廃れていくことはなかったかもしれない。と考え始めました。
それと同時に、そういった篤農家の方ほど地域では疎まれ心無い行為にあっている方が多いということもわかりました。
新しい試みをしていること=既存のものを壊そうとしている、と周囲の農家には感じられその温度差が元となり不仲の原因になっているように思います。
しかし新しい試みは既存の取り組みを壊すことを目的にしているわけではなく、何かしら問題がありその問題を乗り越えるために行っている取り組みであるはず。
さらに、周囲が耕作放棄地になれば自分の畑も獣害や病害の被害を受ける農家の仕事において一人勝ちはありえません。
未来を考えて今を頑張っている篤農家に自分だけが儲かればいいという人はいないはずです。
篤農家の方が地域の方に理解され、応援されるようになれば農家を取り巻く環境もかわるのではないか。
もっといえば、頑張っている農家は儲かり、自分が子供の頃経験したような農家を中心とした田舎とそのコミュニティが次世代にも残していけるのではと考え今の仕事をしています。