クズと雑草の話、続きます。
農業資材に使われる植物、という視点から大きな変化がなかったため時代は弥生時代から戦国時代までとびます。
織田信長や豊臣秀吉による太閤検地によりコメを中心とした貨幣経済、そして商品流通経済が発展すると工芸作物、特用作物(佐藤・油・繊維・色素など工業原料となる作物)、園芸作物など換金素材や交易商品の生産は地域の特産化していきます。
貨幣経済の浸透からの農業分野における作型の専門化の始まりですね。
畜産面も同様で農用牛馬の飼育も広がり厩肥が得やすくなります。
緑肥としてレンゲやマメ科植物を播種する技術の確立。
骨粉・魚粕・豆粕など金肥(この場合はお金で買う肥料の意味)も普及したことから草肥山の需要が減っていきます。
さらに窒業・製塩・鍛冶製鉄など産業用燃料の需要増より草肥山だったところは徐々にマツ、クリ、クヌギ、ナラなど薪炭林にとってかわっていきます。
デンプン素材もコメ以外に小麦(日本に伝わったのは弥生時代くらいとされるが、増産消費が加速的に進んだのが室町~江戸時代)やモロコシなど雑穀類、サツマイモ、馬鈴薯などのイモ類と多様化し、集約的な加工作業が必要なドングリ粉やトチ粉は衰退。
葛粉やワラビ粉はこの頃より高級品として存続していきます。
生育旺盛な葛が高級品となったのは、葛粉に向く葛が生育する林が薪炭林になることで葛の根を得るために焼き畑ではなく、林に入り掘り起こす作業が必要となったこともあるかもしれません。
一方編み布に使われていた繊維目的のクズは、武士階級の高級衣装として葛布の材料となり重宝されるものの、ワタの栽培、木綿布の普及により衰退していきます。
現在葛布は静岡県掛川市が有名な産地です。
明治政府が成立するとともに日本の近代化が始まります。
全国に植えられていたクリは鉄道の枕木に次々伐採され、広大な半自然の牧(ウシやウマを放牧するところ)は幕府から明治政府に引き継がれ国有化。
公・私有地を含めた山野は(草地・草場)は1,360万haほどだったようです(大日本山林会会報,1883年)。
この馬産用草地は、農地造成・燃料用薪炭林によって減少するものの、日清・日露戦争で初めて外国の改良種を目の当たりにした日本は国内産馬が劣っていることを実感。
軍用馬の改良増産のために終戦に至るまでその保護に莫大な補助金が投入され続けます(馬政計画1906年)。
第二次世界大戦に際し、マツは松根油採るために伐根され(航空機燃料の原料として注目されたが実用化せず)、里地・里山景観は、米麦、イモ、豆類など食糧増産計画や木炭や薪などの燃料自給計画により大きく変わっていきます。
この近代化により、農地の資材として使われていた山に生育する植物(樹木・草)は、金肥にとってかわり、山は産業の目的に沿った樹木を育てる畑となっていきます。
同時に樹木の下に生える草は用途がなく邪魔なものに、雑草化していきます。
参考文献 葛とクス 古来の有用植物がいま強害雑草に
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