緑地管理の手段と目的

先日近所の方から弊社敷地内の芝がきれいですねと褒めていただいた。

管理する側からすればよく見るとメヒシバやコニシキソウなどが入っているのだが、ちょっと通りがかるくらいではあまり目につかずきれいな芝のように見えるようだ。

確かに夜歩いてみるとほとんどそうした雑草は目に入らない。

夜に通りがかると確かにきれいに見える

緑地や畑などの雑草管理について話を聞いていると皆躍起になって「雑草をなくそう」としているように感じる。

雑草問題を解決するには?

畑や緑地は植物が育つように管理された環境である以上必ず雑草は生えてくる。

必ず生えてくるものを毎度なくそうとするのは骨が折れるのではないか?

まだ元気なうち、人手があるうちはそのような力任せの人海戦術も通じたかもしれないが、これから先夏は暑くなり熱中症のリスクが高くなり、労働人口が減少している現在の環境で続けていくのは無理だと思われる。

いい草刈り機はないか?除草剤はないか?と考える前に立ち止まって、なぜ草刈りをしようとしているのか?を考えてほしい。

例えば、弊社のこの芝も最初は生えてくる雑草一つ一つが許せなくて必死になって抜いていた。

しかし、そもそもここの芝はなぜ芝にしたのかというと・・

・コンクリートやアスファルトによる蓄熱を防ぎ、放射冷却が正常に起こる(夜温が下がる)ようにすること。

・降った雨が全て排水設備に流れ込むのを防ぎ、土から吸収させその場所に留めるようにすること。

・二酸化炭素を固定させること。

・景観をよくすること。

少なくともこの4点を意識して作り出したことであり、その目的の中に雑草をはやさない。というものはない。

雑草を考えた場合、上記4点のうち問題となるのは景観くらいだ。

雑草を許容しつつ景観をよくするには?と考えたときに私が意識しないといけないと思ったのは「高さ」だった。

つまり一定の高さ以内であればそこまで景観を汚すことはないということだ。

(もっとも植えた芝以外のものが優勢となってしまえば雑多な緑となってしまうので問題かもしれないが)

それからは管理がかなり楽になった。

雑草で困っている方々は雑草をなくそうとする、雑草をなくすことを目的としているが、立ち止まって考えてほしい。

その雑草は本当になくさないといけないのか?

畑であれば作物が正常に品質を維持できる程度に育てばいいのではないか?

また緑地はその緑地は何のために作られたのか?

目的を思い出し、目的と手段がいれかわっていないかを確認することは大事だ。