斑点米カメムシ対策と雑草管理

稲作現場で度々問題となっている斑点米カメムシ。

稲作の歴史は古く縄文~弥生時代あたりから続く一方でこのカメムシが問題となったのは比較的最近のことで1970年代くらいからと言われている。

弥生時代のクズ

1970年といえば減反政策が実施されたころだ。

耕作放棄地はなぜ増えているのか?米、減反政策から考える

減反政策とはそのままの意味でコメの生産量を減らす意図で行われたものだが、実は準耕作放棄地が増えるきっかけとなった政策でもある。

ここで準耕作放棄地とは耕作放棄地ではないが農産物の生産販売を目的とせず、草刈りなどの荒れない程度の管理がされている農地とする。

準耕作放棄地では農産物の生産が第一の目的ではない為、当たり前であるがそこに生えている植生などには注目されなくなる。

斑点米カメムシの中でもアカスジカスミカメの生活史に注目すると、イネ科雑草を渡り増殖していき、イネが出水すると水田に侵入してくる。

病気でも害虫でも増殖して被害が大きくなってからでは対処が難しいため増殖前に薬剤散布など対策をするのが通例だ。

アカスジカスミカメは卵で越冬し、春になると幼虫が孵化、その後世代を繰り返しながら増殖というサイクルをたどる。

卵を産む秋ごろにはメヒシバやイヌビエなど様々なイネ科雑草が穂を出しており、その穂に卵を産み、地面に落ちたイネ科雑草の種子の上で卵が越冬。

ここでアカスジカスミカメは若い穂を吸汁するが、硬い種子からは吸汁できない為近くに生えているイネ科雑草の穂に移り、エネルギーを得る。

さらに幼虫は羽がないので遠くまで移動ができない。

このことから、アカスジカスミカメの卵はあらゆるイネ科雑草に産卵するものの、孵化する春先頃に同じ場所にイネ科雑草がないと孵化後に生き残ることができず増殖できないことがわかる。

つまり周辺に春先イネ科の雑草がなければ淘汰されていくのだ。

ここで減反政策に話を戻す。

減反対象となった農地では農産物の生産を積極的に行わない為、春先まだ雑草も伸びていない状態であれば放置されるケースがほとんどだろう。

減反ということで周辺に田んぼとして残っているところもある中で点在して減反箇所があればアカスジカスミカメからすると非常に立地のいい拠点となる。

減反政策が実施され始めた1970年ごろから斑点米カメムシの被害が増え始めたのはこういった背景もあると考えられ、斑点米カメムシ対策としては水田の畔だけでなく周辺の草管理もすることで増殖を防ぐことができるのではと考えられる。